辻本賢人の現在は何を?阪神が15歳で惚れた男の生涯年俸は?


2004年の秋に開催されたプロ野球ドラフト会議にて、
阪神タイガースにドラフト8位で指名された辻本賢人選手。

プロ野球史上最年少の15歳で指名されたことで、
大きな注目と関心を集めてました。

しかし、そんな注目の逸材も奮闘虚しく大成叶わず
在籍5年で戦力外というあまりも短いプロ野球選手としての
人生を終えてしまいました。

そんな辻本賢人さんのその後や現在に関する話題が
最近になって再び関心を集めているようですので、
調べてみましたので是非ご覧下さい♪

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プロフィール

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辻本賢人 (つじもと けんと)

 

生年月日:1989年1月6日

血液型:O型

出身地:兵庫県

身長:181cm

所属:元・阪神タイガース

職業:元・プロ野球選手、翻訳家

兵庫県出身の元プロ野球選手である辻本賢人さん。

生粋の野球少年だった彼は、
ボーイズリーグで現メジャーリーガーのダルビッシュ有と
投げ合ったこともあり、全国少年野球大会でも好成績を挙げているそうです。

中学時代には単身でアメリカに渡り、
現地のベースボールチームに在籍して出場した全米大会で、
元巨人に在籍していたクライド・ライト氏を驚かせたほどの逸材でした。

2004年秋のプロ野球ドラフト指名会議にて、
史上最年少の15歳で阪神タイガースより
8巡目で指名を受けて入団して大きな話題になりました。

2009年に阪神から戦力外通告を受けて
日本での選手人生を終えましたが、
その後も選手としての活動の場を海外へ変えて
2013年にニューヨーク・メッツを解雇されたことで、
野球選手としての活動を終えています。

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現在は何をやってるの?注目された逸材の引退後の今は?

史上最年少で阪神タイガースからドラフト指名を受け、
期待のルーキーとして入団して大きな注目を集めた辻本賢人さん。

しかし、その期待に応えるような活躍をすること叶わず、
たった5年という短い期間でタイガースを戦力外になってしまいました。

それでも、その後の彼は野球選手として諦めることはなく、
活動の場を海外へ変えてチャレンジを続けました。

ただ、そのチャレンジも2013年にはピリオドを迎えることになり
彼は日本へ帰って来ていました。

辻本さんは、ご自身の野球選手としての人生においては
全てやりきったと語っています。

そして、帰国後の彼は現在、野球というステージから、
活躍の場をまったく違う舞台へ変えていたのです。

辻本さんが再スタートに選んだ新たなステージは、

”翻訳家”

という職業だったのです。

翻訳家というのは、
様々な国々の語学に精通することで、
その国々の言語を日本へ訳すことが出来て、
逆に日本語をその国々の言語に訳すことが出来る人ですね。

翻訳家を名乗ることには特に必要な資格というのは無いのですが、
その国々の高い語学力を持っている人であるほど
高く評価されることはご理解いただけるのではないでしょうか?

元々クォーターである辻本さんは、
少年時代、そして野球選手としての晩年を海外で過ごしており
そのことから英語には精通しているそうです。

その語学力は当然、翻訳家としても活かされると思いますね。

では、次のページにて期待された逸材だった辻本さんの
阪神タイガースで稼いだ年俸の推移をご紹介していきます。

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阪神が15歳で惚れた男の生涯年俸は?

日本プロ野球史上最年少という若干15歳で
阪神タイガースに指名を受け、将来を期待された逸材として
大きな注目を集めてプロ野球選手となった辻本賢人さん。

彼の将来への期待はとても大きなものだったと思います。

特に日本で一番ともいえる情の厚い伝統の阪神タイガースを
心から愛してやまないトラファンの期待は想像以上だったことでしょう。

中学を卒業したばかりの16歳のルーキーも、
プロとしてスタートをすれば、そこは実力主義の世界です。

いくら将来を期待されるルーキーであっても、
ある程度の成長、そして実績を残すことが出来なければ、
生き残っていけないのがプロであり、
その道を職業としている人たちの戦場なんですよね。

その戦場の中で自分のチカラを発揮し成長して実績を挙げた人には、
それに相応しい報酬を得ることができます。

しかし、その戦場で実績を残せなかった辻本さんには、
目に見えて評価の低い数字を受け入れることでしか
プロとして生き残っていくことは出来なかったのです。

阪神タイガースの辻本賢人として在籍していた5年間の
彼の年棒の推移をご紹介していきます。

2004年秋、若干15歳でドラフト8位指名を受けた辻本さん。
その契約金は1000万円だったそうです。

中学3年生でプロ野球選手としての契約金が1000万円!

いやいや、凄い金額だと思います。

そして、プロとして阪神在籍5年間の年棒の推移は、

2005年 440万円
2006年 440万円 現状維持
2007年 440万円 現状維持
2008年 480万円 40万円増
2009年 400万円 80万円減

5年間で2200万円

そして2009年のオフに戦力外通告を受け、
辻本さんは期待してくれた阪神タイガースでの選手生活に幕を降ろしました。

私たち野球ファンの期待以上に、辻本さん自身の期待も計り知れなかったでしょうね。

本当に悔しい気持ちで阪神を去ったと思います。

ひとこと

辻本さんが15歳でドラフト指名されたニュースはホントに衝撃的でした!

とても将来を期待して、球団も慎重に彼を育成していったことでしょうね。

しかし残念ながら、その期待に応えられなかったことは、

私たちファン以上に辻本さん本人が一番痛感していると思います。

新たな気持ちで翻訳家として再スタートをした辻本さんの活躍を期待したいですね。

今回は史上最年少でドラフト指名された元阪神タイガースの辻本賢人さんについて
気になる話題を調べてご紹介させていただきました。

 

最後までご覧いただき誠にありがとうございました。

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