【二人三脚】高畑勲さんお別れ会 宮崎駿監督が号泣「俺らはあの時精いっぱい生きた」https://t.co/7Lvn8Sgqzr
東映動画時代の思い出を事細やかに話し、何度も眼鏡をとって涙を拭い、盟友との別れを惜しんだ。 pic.twitter.com/zxmo9U4ieo
— ライブドアニュース (@livedoornews) 2018年5月15日
4月5日に82歳で永眠した映画監督・高畑勲をしのぶ「高畑 勲 お別れの会」が、本日5月15日に東京・三鷹の森ジブリ美術館で行われ、宮崎駿が開会の辞として別れの言葉を捧げた。
引用元:headlines.yahoo.co.jp
東映動画時代から共に業界の発展に尽力してきた仲間だった宮崎駿監督が最後のお別れの言葉を贈り涙したそうです。
宮崎駿監督の記憶の中に沸き上がったのは高畑勲監督との出会いから今日に至るまでの様々な思い出の数々だったことでしょう。
彼が流した涙の理由は何だったのでしょうか?
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宮崎駿が号泣した理由はなぜ?
”パクさん”のあだ名で高畑監督を呼んでいた宮崎監督。
そんな二人の出会いは1963年でした。
「雨上がりの水たまりの残る通りを1人の青年が近付いてきた。穏やかでかしこそうな青年の顔が目の前にあった。それがパクさんに出会った瞬間だった。今でもあのときのパクさんの顔をありありと思い出せる」
引用元:headlines.yahoo.co.jp
と、今でもその運命的な出会いの瞬間が色褪せないそうです。
高畑が副委員長、宮崎が書記長を務めた東映動画労働組合の運動が加熱していた時期には組合の事務所であるプレハブ小屋に泊まり込んで、高畑とありとあらゆることを語り合ったという。
「緊張で吐き気に苦しむような日々が始まった。僕らは仕事に満足していなかった。もっと遠くへ。もっと深く。誇りを持てる仕事をしたかった。パクさんの教養は圧倒的だった。僕は得難い人に巡り会えたのだとうれしかった」と語る。
ときに涙ぐみ言葉を詰まらせる一幕も。
引用元:headlines.yahoo.co.jp
このように当時のことを鮮明に振り返り、永遠の眠りについた故人への溢れる思いとともに涙を流したそうです。
日本の動画界にとって目覚ましい成長を続けたともいわれる昭和40年代から苦楽をともにしてきた戦友との永遠の別れに涙を流さずにはいられなかったのでしょう。
それは人として誰もが抱く素直な感情だと思います。
パクさん。55年前にあの雨上がりのバス停で声をかけてくれたことを忘れない
引用元:headlines.yahoo.co.jp
という言葉で締めくくった宮崎駿監督。
その言葉の中に55年という長い付き合いへの感謝の気持ちが込められていたように感じました。
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